『色ざんげ』1956年

1956年
監督:阿部豊
出演:森雅之、北原三枝、田中絹代、二本柳寛、芦田伸介 他

渋谷シネマヴェーラにて。
宇野千代の原作(そしてほぼ実話)を映画化。人気画家とその恋人の悲劇を描いた文芸作。ソフト化もされておらず、名画座でもかかる機会は少ないらしい。
映画としての評判があんまり良くないのはわかってましたけど、観れるモリマ出演作品は全て観るのが私の生涯の目標なので…

で、観終わった感想はやっぱり「うーーーーーん」でした。笑

森雅之演じる画家のモデルが東郷青児。宇野千代は東郷青児の愛人だった時期があって、元愛人の話を小説にしてしまったわけです。その恋人を演じるのが北原三枝。じゃあ宇野千代=北原三枝なの?と思いきやそうじゃなくて、実際に東郷青児と心中を図った女性がいるんですね。そう思うと、この作品を書いたということ自体ちょっと怖く感じる。

東郷青児(Wikipedia)

破滅の予感しかしないモリマの切ないモノローグで話はスタート。
モリマは北原三枝の自宅近くの部屋を間借りしていつも北原三枝を覗き見してます。両思いじゃなかったらただのストーカー。怪しすぎるので当然大家に通報されるも「好きな人を眺めてちゃいけないんですか!」と逆ギレ。
この覗き見事件で北原三枝の存在が妻の山岡久乃にバレて即離婚。結婚してたんかい。

今回のモリマ、とにかく運がない。女運もなけりゃその他の運もない。
山岡久乃もやたら強そうで悪妻っぽかったし、アメリカへ行く北原三枝を連れ戻そうとすれば大雨に打たれて寝込み(当然北原三枝はアメリカへ)、北原三枝を失った寂しさを紛らわすために結婚した相手はこれまた悪妻で結婚前から付き合いがあった男と浮気。その浮気相手・宍戸錠と何故か意気投合したと思いきや宍戸錠は自殺してしまう。
そして最後の最後、アメリカから戻ってきた北原三枝とガス心中するも、なんと自分だけが生き残ってしまうという、もう最悪の結末。

尺の都合なのかわからないけど、この流れがものすごく淡々と、ダイジェストみたいな感じで描かれてるんですよね。だから観ていて気全然持ちが入っていかないというか…モリマの謎キャラも相まって、置いてけぼり喰らってる気分になってしまった。

なんかさ、北原三枝はモリマに迫られて決断するのにさ、それがモリマの運の無さによってふいにされてしまうのがね、どうも…それを「運の無さ」で片付けるのも癪なんだけど。
でもって田中絹代になにかと世話を焼いてもらってたり、お友達の二本柳寛に心配してもらったり、モリマばっかり守られててそこも納得いかない(笑)。
もう絹代と結婚して面倒見てもらえば幸せなんじゃないの?って思うんだけど絹代にはかわいい超年下夫がいるのでダメです。

ただただ北原三枝が気の毒で、いいとこなしのモリマを蹴り飛ばしたくなる映画でした。

 

東郷青児をモデルにしたこの役は、無駄に女にモテて受け身で情けなくて、負オーラ撒き散らしまくって周りの人が誰も幸せにならなくて…っていう、まさに森雅之にうってつけ!という役だった。

…はずだったのです。

絵の仕事に影響が出てしまうほど若い恋人に夢中になってしまう、ひたむきさとか純粋さとか苦しさっていうものもこの作品のテーマのひとつだったのかなと思うんですけど。すごく事務的に役をこなしてるというか…役に気持ちが入ってない感じ。それでこっちはその役がどういう人柄でどんな気持ちなんだとか、わからない。少なくとも、純粋だとかひたむきだとか、そういうことはあの役からは全然感じられなかった。
公開当時は「愛の苦悩というより漁色的」と評価されていたようですけど、なるほどなぁ。

迷いながら、とまどいながら演ってるように見えた。納得してやっていないように見えた。
「しまった!」って顔に書いてあるように見えたんです。
モリマどうしちゃったの…?って、観てる途中からすごく不安になったんですよね…

ああいう演出だったんだよと言われたらそれで納得するしかないけども、そう思うとああなるのは仕方ないかなとも思うかな…

実際のところどうだったのか、モリマに会えたら聞いてみたいね。