森雅之と『小さき者へ』

森雅之のことを研究し始めておもしろいなと思ったのは、父親が有島武郎という作家であり、さらに親族や知人にも名の知れた人物が多いために、父の作品や日記はもちろん、その周りの人たちが書き残したものから幼少期の様子がよくわかるというところです。

そうしてなんだか小さい頃からよく知っておりますみたいな、勝手に近所のおばちゃんみたいな気持ちになってきちゃって(笑)知れば知るほど憎めないというか、他人でないような気がしてくる。
幼少期のエピソードと後の森雅之の発言や行動が繋がった瞬間に、驚きや喜びを感じる、そんなこともあります。

ですから映画やドラマ出演作品を観るだけでなく、そういった関連書籍を読み漁るのも非常に楽しいんですね。
数が多すぎて全然追いつきませんけど…

さて、その関連書籍の代表としてまず挙げておきたいのが、父・有島武郎の代表作でもある『小さき者へ』です。
これは小説ではなく、自身の3人の子どもに向けて書かれたもの。

 

小さい頃から知ってるおばちゃん気分だと書きましたが、これにはまさに誕生の瞬間が書かれている。
文章の臨場感がすごいので、それこそ出産に立ち会ったかのような気持ちになります。

この中に出てくる「おまえたち」の一人。
生まれてすぐぶどう酒に浸けられ、父と共に高熱を出し枕を並べて寝込み、母が再入院する時にはまだ病み上がりで女中におんぶされていた、この少年が有島武郎の長男、後の森雅之になるわけです。

『小さき者へ』については、森雅之本人も映画雑誌の座談会で言及しておりまして。

「僕は生まれた時にパントマイムだったらしいんだ。オギャアとも泣けない弱々しい子だったんだネ。
これは親爺の書いた『小さき者へ』って云う本に出ていたんで覚えているんだけど、それでお産婆さん、あわてちゃってネ、ブドー酒ブドー酒って騒ぎなんだ。なにもブドー酒を生まれたての赤ん坊が飲むわけじゃないよ、産湯の中にこれを入れるんだよ。それでやっと、かすかながらに漸くオギャアって泣いたって云うんだね」

「人間のヒフていうものは呼吸してるでしょ。だから肌からでも刺激のあるものを吸収するとまァ気つけ薬の役目をはたすんですネ」

引用:『映画ファン』1954年1月号「座談会 私たちは1月生れ」

…という、誕生からしていかにも病弱なモリマらしいエピソードですが、こうして自分から父の作品の話を持ち出すのは非常に珍しいことで、貴重です。
機嫌も良かったんだろうけど、結構サービス精神があるんですよね。

幼くして母を亡くした3人の子どもたち。
その子どもたちがいずれ読むことを前提として書いていながら「母を亡くした時点でおまえたちは不幸」「道は暗い」とネガティブワードを繰り返し、シングルファーザーとなった有島武郎の、本来なら親としては子どもに隠しておきたいであろうはずの弱い心であり、どこか悲痛でもある気持ちが綴られている。

そうして子どもたちには、それでも生きていくんだ、乗り越えていくんだ、親に恩を返す必要はない、自立して生きてゆけと。
これは有島武郎なりの精一杯の励まし方で。

私が『小さき者へ』を初めて読んだのは中学生の時でしたが、親ってこんなこと考えてるんだろうか、この子どもたちはなんて愛されているんだろう、なんて幸せなんだろうかと。
弱さをさらけ出しながらも力強いメッセージを送っているこの作品が強く心に残ったものです。

もちろんこの時はモリマのモの字も知らず、これが有島武郎自身のことを書いてるなんてことはわからなかった。
数年後、私の中で有島武郎とモリマが繋がった時の衝撃はこれはなかなか、結構なもんでした。

さて、モリマとしては、こんなものを書いておいてさっさと自殺した父が憎いといったところで。
その憎さから父をボロクソにこきおろした文章をいくつか書き残していて、『小さき者へ』に感動した身としてはやはり寂しく、読むたびに切ない気持ちになる。

仕方がない。父が亡くなった後もいろいろとあったのです。
普通に生きてたら経験しなくていいようなことも。

だけどそのボロクソこきおろし文章の中に、時々ふと思い出したかのように穏やかな気持ちで振りで返っているような書き方をしてる瞬間があるのですよ。
父との幸せだった思い出が、この人の中に確実に残っているわけです。
覚えてないなんて言ってる時もあるけど、本当は覚えてる。

この父に対する憎しみってやっぱり、元々は愛情から来てるものじゃないかと思って。

「父親が自殺した」という以上に、パパは自分たち子どもよりも何処の誰だかわからない女を取ったんだ、自分たちは捨てられたんだっていう、そんな気持ちが強かったと思うのですよ。
その気持ちを隠すために必要以上に辛辣に父を批判していたんじゃないかなって、そんな風に思うのです。

まあどちらの気持ちになっても辛いんです。